登山センターの前で通行止めのため、土合橋の駐車場に車を停めて歩く。一ノ倉沢出合に着くと、目の前には大岩壁が広がり、懐かしい記憶が蘇ってきた。
初めて一ノ倉に訪れたのは今から十数年前。あの頃は岩登りが目的で、先輩に連れられ烏帽子奥壁や衝立岩に挑戦したが、どちらも時間切れで敗退。冬にも一度訪れた時があるが、その時も悪天で敗退している。一度も成功した経験はなかったが、本チャンの厳しさを充分味わうことができ、良いイメージとして強く残っている。
巨大な空間のほぼ中央に位置する一ノ倉沢本谷は、左右に名にし負う岩壁群を従え、白く美しいカールを流下する。ロケーションの良さは他に類を見ない。
沢に入るとすぐに磨かれた岩主体の渓相となる。テールリッジまではアプローチとして登られているため、随所に残置ロープが設置されているが、全て使わずに進む。部分的にⅣ~Ⅳ+位のパートがあり、思ったより楽ではない。
テールリッジの末端を過ぎた先にあるツルツルのトイ状滝は、右岸のスラブから小さく巻く(Ⅳ)。その先で沢は右曲し、不安定な雪渓が現われた。右岸のスラブを低くトラバースして越えたい所だが、タビでは厳しく、どんどん上へと追い上げられる。草付まで上がったところで右にトラバースし、一箇所斜め懸垂を交えながら下降。
右岸から二ノ沢が入り、本谷はゴルジュ状となる。本来はこの奥に大滝があるはずだが、崩壊した雪渓に遮られ、沢通しは不可。ラバーソールに履き替えて右岸の上昇バンドを登っていくが、突き当りで垂壁に阻まれる。一段上のスラブに立ち込み、フレークをレイバック気味に登れば、上部の緩傾斜に抜けられるが、ホールドのフリクションがない上に、足元はのっぺりとしたスメアリング。沢床まで30mほど切れ落ち、高度感もある。
微妙なバランスを要求されるため、ムーブを間違えるとスリップしかねない。しかし、取り付いてしまって戻ることもできず、そのまま気合のフリーソロ(Ⅳ+)。久々に身のすくむ思いをした。
本谷バンドで水を汲み、左岸へ渡る。ここより上部の水流は岩を濡らす程度。大半は乾いたスラブで、好きなように登っていく。左手には滝沢スラブ、右手には衝立岩がそびえ、下を見下ろせば、真っ白なカールに大空間が広がっていた。素晴らしい開放感。
右に南稜を見送ると本谷はルンゼ状になる。部分的に難しい箇所も出てくるが、ロープを出すほどでもない。20m滝は左を登るが、ライン選びが面白い登攀だった(Ⅳ)。下部の垂壁を越えた後もスラブが続き、すぐには気が抜けない。後ろを振り返れば、右岸に張り出す険しいリッジが空高く突き上がっていた。
ルンゼを抜けると、上部には再びスラブが広がり、波のように障壁が幾重にも連なっている。最上部には白い奥壁がそびえ、そこに特別な何かが待っているかのようだ。一方右側には草付の中にスラブが続いている。通常は右に入って容易に詰め上がって終了するようだが、正面に見える大スラブからの連壁が心から離れない。
簡単にはいかなそうだが、気持ちに正直に従う。スラブは中間の傾斜がきつくなるポイントでは右寄りに弱点を突いていく(Ⅳ)。そこを越えると再び傾斜は緩むが、上にいくほど逆層になっていやらしい。爽快なフリーソロと言うよりは、感覚が麻痺するほどの高度感と、ミスが許されない緊張感に覆われた登攀だった。下流部から含めると今日一日の大半はこうしたクライミングを強いられており、メンタルの疲労度は尋常ではない。
黒いハングした障壁の基部に達した後は左にトラバースし、草付を乗り越して上に出る。これで一安心かと思えば、石ころの埋まったボロボロの土斜面が続いている。足場を崩さないように慎重に登っていくと、ようやく奥壁の基部に辿り着くことができた。
奥壁は周囲の岩質と違って石灰岩で、この岩だけ妙に白い理由が分かった。薄被りの壁で、ちょっとしたフリーのルートが作れそうに見える。ここから左に向かえば簡単に稜線に出られそうだが、ここまで来たらやはりダイレクトにこだわりたい。奥壁の右側を回り込み、岩の段差を登って稜線に出た。
最後にかなり大きなオマケが付いたが、全てを通して一番納得のいくラインで遡ることができて良かった。結局一回もロープを使用しなかったが、そのおかげで高度感のあるフリーソロに免疫ができたのは間違いない。周囲に見えていた岩壁群は、きっと今後の楽しみになることだろう。