数々の巨瀑を秘め、源流に美しい渓相を持つという赤谷川。同山域において最も山深くスケールの大きな谷であり、谷川屈指の名渓と名高い。
そんな谷の遡行をこれまで引き延ばしてきたのには理由がある。それはこの谷の最深部に位置する大ゴルジュ、「裏越しのセン、ドウドウセン」の水線突破を兼ねた完全遡行を成し遂げたかったからだ。
高度な登攀技術が求められるこの谷の遡行に、単独で挑むにはそれなりの覚悟が必要だった。
その覚悟を固めるため、体力、精神、天候等の好条件が揃い、万全の状態で臨める機会を待った。
大ゴルジュを巻いて遡行するという選択肢もあったが、どうせ遡行するならやはり最上のスタイルで臨みたい。
難攻不落の大ゴルジュに潜む幻の滝とは、果たしていかなるものか・・。危険を省みず自らの命を賭して踏み込んだものにしか見ることのできない唯一の世界。
そんな世界をこの目に焼付け、肌で感じ、自分の持てる技術を駆使して突破する。それが私の求める沢登りの理想である。
9月10日(晴)
川古温泉を8時に出発。
長いアプローチを歩くこと2時間、渡渉点に到着。エビス大黒沢が滝となって合流する。
すぐにゴルジュとなり、奥には最初の滝「マワット下ノセン」20mが物凄い勢いで落下している。周囲を高い岩壁に囲まれ、実際の高度以上のスケールを感じる。
右岸のバンドをトラバースし、慎重に滝身に取り付くが、岩の表面がツルツルで神経を使う登攀となった。
右岸から熊穴沢を分けると、「マワットノセン」15mが広大な空間に姿を現す。プールのような大釜を携え、明るく美しい滝である。ホールド豊富な右壁を快適に直登。
両岸がさらに高まってくると巨岩帯へと突入する。家ほどの巨岩が所狭しと谷を埋め、上に登ったり、隙間を潜ったり、巻いたりとまるで迷路を進むかようだ。
長い直線ゴルジュを終えると、一際開けた空間に飛び出した。両岸は垂壁が高くそびえるが、あまりに広い谷幅ゆえ全く閉塞感がない。
その中央には空間を支配する滝、「裏越のセン」6段70m。たとえ登れることが分かっていても、安易に取り付き難いオーラを放つこの滝を前にして、実際に登攀に入れる人は少ないのではないだろうか・・。
この沢は滝一つ一つの存在感が強烈で、普通の沢とは比べ物にならない。
右岸のルンゼが高巻きを誘うが、そんな誘惑に乗っていては今日この日を待った意味がない。
緊張を抑え、いよいよ「裏越のセン」の登攀へと踏み出す。まずは最下段のF滝(25m)。
左岸草付から一旦広いテラスに上がり、岩と草の入り混じった階段状バンドを登っていく。悪くなったらロープを出すつもりで、できる限りフリーソロ。
バンドを上がりきった所から落ち口に向けてクライムダウン。高度感があるがホールドがしっかりしているので、それほど悪くはない。
E滝(25m)は右壁に可能性を見出せるが、下部の流水部分がヌメっていて取り付く気が起きない。直登の魅力に惹かれながらも、右岸のスラブにラインを取る。
上部でヤブに入り、そのままD滝(10m)とC滝(4m)も一緒に巻く。
最後にB滝(2m)、A滝(4m)を容易に登り、「裏越のセン」を終了する。結局一度もロープを出さずに済んでしまった。
左に扇沢を分けると谷は一気に狭まり、いよいよ最大の核心「ドウドウセン」の登場である。
7m前衛滝を右壁から越え、最下段G滝(2段45m)。右岸のハング壁と左岸のスラブ壁に挟まれ、空間は斜め上方の空へと向かう。登攀可能なのは左岸。ここでもすぐにはロープを出さず、まずはフリーソロ。
段々の岩壁を上がり、滝の中段に続くバンドをトラバース。途中からツルツルスタンスのハンドトラバースとなり、ザックを背負ったまま突っ込むのはリスキー。ロープを出して空身で越える。
G滝中段の安定したテラスに出られたが、そこから滝身に取り付くことは叶わず、側壁スラブを直上するしかない。
ご丁寧にボルト&ハーケンの3本支点で作られたアンカーがあるが、手前と奥の2箇所にあるので、どちらが登り易いラインか判断に迷うところだ。
手前は傾斜がないので一見取り付き易そうだが、ホールドが少なく支点も取り辛そうに見える。奥は垂壁のクラックなので傾斜はあるが、ホールドがある分意外と登り易そうにも見えなくない。
悩ましい選択肢だがよくラインを見比べ、奥のクラックラインを登ることにする。
取り付きは人工のワンポイントでこなし、その先はフリー。フィストサイズのクラックが4mほど続くのでカムがあれば便利なのだろうが、あいにくそんな重いものは持ち合わせていない。
バランスの悪い垂壁での片手作業で何とかハーケン支点を取るが、とても墜落に耐えられる代物ではなく、おまじない程度のものだ。
そんなおまじないでもないよりはマシで、それを頼りに先の読めない壁を登っていく。タビにはシビアなスタンスが続き、緊張感が絶えない。
結局効きの甘い中間ピン4本で安定した草付バンドまで出る。何とかフリーで登ることができたが、どこで落ちてもグランドフォールを免れないシビアな登攀であった。
草付きバンドを左上し、ブッシュ帯へ入る。巻き気味に登っていくとF滝(10m)の上に出た。
ここから先はゴルジュ最狭部となる。E滝(5m)とD滝(2段9m)を越えるためには、F滝の細い落ち口を渡って対岸のクラックを登らなくてはならない。
落ち口すぐ上で行うクライミングは刺激的だ。ウェーブハーケンを1本打ち、ワンポイントA1で岩の上に這い上がった。
そのまま正面のリッジを登ってブッシュに入り、トラバースしてD滝の落ち口に出る。
C滝(2段10m)も登れないので、右岸の垂直のヤブを5mほど登って「岬」と呼ばれる地点に立つ。
そこから5mの懸垂下降後、ロープを外さずそのままトラバース。残置スリングのワンポイントA0で、C滝落ち口へ。
B滝(4m)は深い釜を持ち、楽そうな左壁を登るには泳がないと取り付けない。夕暮れ迫るこの時間帯に泳ぐ気もせず、右壁を強引に登る。
B滝上は不思議な地形となり、何とも興味深い。
落ち口の釜が岩壁で仕切られ、水の流れが忽然と消えているのである。
仕切りの向こう側にA滝(5m)が激しく落ちている分、そのギャップがさらに印象的だ。どうやらA滝の釜は仕切りの下部でB滝落ち口の釜と繋がっているようだ。
それにしても不思議なのは、A滝の釜よりB滝落ち口の釜の方が上部に位置していることである。どういう仕組みでA滝の水は上に上がっているのだろうか。
これと同じような釜を御嶽山の兵衛谷でも見たが、まさに自然造形の妙と言えよう。
滅多に見られない珍しい地形なだけに、最後にもう一つご褒美をもらった気分である。
A滝を右岸から越えると、ついにドウドウセンは終わりを告げた。先には広く平坦な河原が広がり、長い緊張感からやっと開放される。
あとは上部の美しい渓相とやらを楽しむだけだ。
意外といやらしい6m滝を右岸から巻き、ほど良い所で本日の幕場とする。
9月11日(晴)
朝から好天に恵まれ、絶好の沢日和となった。
車で走れそうなくらいに緩やかで平らな沢筋を歩いていく。
両岸は尾根まで開け、周りの山並みと風になびく草原の丘が美しい。
下部の厳しい渓相からは想像もできないほどの優しい表情への変化に、まるで別世界に移ったかのようだ。
草原の台地が点在し、幕場にしていれば最高の夜が過ごせていたに違いない。次回の楽しみにしよう。(特にお勧めはC1450右岸支沢出合の台地で、沢床から4mほどの高さにある。)
最後は二俣を右に取り、わずかなヤブこぎでオジカ沢ノ頭へと詰め上がった。
ここへ上がるのはこれで3度目になる。すっかり馴染みの風景だが、いつ来ても心地が良い。ここで優しい風に吹かれながら遡行の余韻に浸るひと時が好きだ。
またここへ来よう。
側壁が高くそびえる。
大きな釜を持つ立派な滝。
右壁を直登する。
でかい岩がひしめき合う。
ここの通過はまるで迷路を
進むかのようだ。
遡行者に立ち塞がる巨大な門。
この門を突破するには多大な
勇気が必要とされるだろう。
落ち口へのクライムダウンの途中にて。
高度感があり過ぎてよく分からない。
この滝は頑張れば直登可能と思われる。
ヌメっているのがネックだが・・。
F滝の落ち口から。この谷のスケール
が分かってもらえるだろうか・・。
これを越えれば、いよいよドウドウセンだ。
最大の核心部。右壁スラブの
弱点を縫って越える。
細い落ち口を慎重に渡り、対岸の
クラックを登る。
赤谷川最狭部。この滝は越えられ
そうだが、次のD滝が厳しい。
定石通り「岬」経由で越えるしかない。
深いゴルジュの真っ只中に
いることを感じる。
左壁が楽だが、取り付くには釜を泳がなくてはならない。右壁を強引に登る。
岩壁に仕切られ、入口のない釜。
水はどこから湧いてくるのだろう。
左にあるのが仕切りの岩壁。
激しく落ちた水は一体どこへ
流れているのだろうか。
左がA滝の釜で、右がB滝落ち口の釜。
不思議なことにA滝の釜より、B滝落ち口の釜の方が高い位置にある。
庭園のような流れが続く。
下部のゴルジュからは想像も付かない位穏やかで優しい流れがここにはある。
開放値MAX。
金色の草原にそよ風が心地よい。
下山途中にて。
上流部の開けた沢筋が見渡せる。
豪快な直瀑だ。